タイの秘められた島を探して

少し前の話になりますがタイの秘められた島を探してイギリス人の友人と船旅をしたことを綴ります。

長い船旅の中でミャンマーとタイ諸島へと進路をとりました。そこは自然が支配し、住民はごく少なく、離れて点在している程度です。

最早タイには未だ観光名所となっていないような島は数える程しかない、と思われがちですが、中でもコ・パヤムは数少ない一つと言えるでしょう。

急速に進む開発により、先を行く観光名所の仲間入りをしそうではありますが、そこには未だ車も、郵便局も、ホテルの壁もありません。

お湯は貴重品です。エアコンはたった一つのバンガローにしかありません。

タイの北西部の海岸、ミャンマー(最近、ビルマとどっちで呼ぶのが正しいのか、紛らわしいですが)との国境沿いにあるコ・パヤムは長いこと船乗りたちの隠れ家的存在でした。

プーケやハンナベイのような商業地帯の喧騒や、コ・ファガンやコ・サムイのように人々が寄り集まるところから逃れるにはちょうど良いと思います。

ここ数年間で、休暇を楽しむために、大胆にも高速フェリー用の航路が作られました。ラノンから「埠頭」すなわち、湿地とマングローブ林にある小さな村から海に伸ばした突提を結ぶ航路です。

そこで多くの観光客はスクーターを借りるか、ロングビーチまでバイクタクシーに乗ります。

ほとんどのバンガローが、そこに集結していました。ヨット乗りたちにとってバッファローベイはアンダマン海からの大波を避け、12月から3月にかけて碇を下ろす安全な場所なのです。

私たちの船はまずそこに行く必要がありました。

プーケの南側を廻っている間、愛船ヤマト号は荒れる海の3−4mもある波にさらされていました。この時期まで北東のモンスーンが吹いて大波を鎮めるはずが、この年は天候不順で風が予報通りに吹かず、大波が私たちを直撃したのです。

丸一日、容赦ない波に翻弄された挙句、私たちは航海を取りやめパトン湾に停泊し、仮眠をとることにしました。

波は鎮まりましたが、うねりのせいで人も、モノも、ご機嫌斜めの猫も、船内の端から端へと振り飛ばされました。

先を急ぐ私たちは夜明け前には起きて、出港しました。

セーリングは無理だったので、エンジンをかけて北に向け10時間航行し、バンサップラムの河口を目指しました。

この2日間の混乱の後、夕方やっと穏やかな水上に出たのにはほっとしました。バンサップバヌはタイ海軍基地の一つです。

なので、長旅に疲弊した旅人の食糧、燃料、水を補給し、備蓄するだけの設備が整っています。

ここで約2日間滞在し、ゆっくりと休息し、「海軍夫人クラブ(そこの地元料理はボリューム満点で、安いのです)」で食事をとりました。河口の灰色の軍艦から離れたところには、放置された漁船、古いヨット、ロングテールボートやシミリアン諸島に向かう観光客で満載のモータークルーザーなどが停泊しています。

コ・バヤムまで行く前に、二つの楽園へ向かって海のうねりと風を受けてヨットを走らせました。

幸い、新しいエンジンは力強く頼もしく、仕様を上回る出色の性能です。

コ・フラ・ソン島はエコ・ツーリズムの入門的な観光地ですが、カオ・ソック国立公園沖の島々の1つです。そこでは浜辺にこじんまりとした休憩所が2つととキャンプ場があります。

その河口の大部分はマングローブの木々と、その向こうの熱帯雨林で占められています。観光産業により発見された末端の辺境エリアで、人里離れてのんびりしたい方にはお勧めです。

私たちは、そこに一晩泊まりましたが、もっと居たいと思いました。

プーケよりもミャンマーよりのところで、ヤマト号は最後にラエム・ソン諸島に停泊しました。

無人のこの島には、猿、タカ、燕、そしてジャングルに潜む生き物に満ちています。この地を訪れるのはロングテールの漁船とアンダマンの波から逃れたヨットだけです。しかし、いずれは綺麗な砂浜目当てにモーターボートに乗って来る客で賑わうでしょう。

バッファローベイには年が明ける前に入り、最北端の「ヒッピーバー」に行ってみました。

流木などで作られたこのバーレストランは、10年来主人のジミーさんが築き、未だに完成していません。
幽霊船の船首は満潮時には海水につかり、ごちゃごちゃに並んで崩れ落ちそうな棟が後ろに寄りかかっています。高さ3階建てくらいです。

店にあるのは小さな海と森の宝物、きれいな模様の織物に節くれだった材木、そして誰かが巨木に神秘的な彫刻を掘り込んでいます。

そこは一日中、子供達がよじ登って遊べる楽園なんですが、親は爪の怪我や目をやられないように付き添っていなくてはいけません。小さな木製のバーでは地元料理や洋食、フルーツジュースやビールが飲めます。夜になるとキャンドルの明かりが灯る隠れ家みたいになって、大人たちが極上のカイピリーニャを味見しに集い、ジミーの上手なビブラホンや、時々はバンド演奏を楽しみます。

2004年の津波の災害から数年後、弱い地盤の地域では建築や植栽の決まりが強化されました。コ・バヤムでも調査員が時折派遣されます。
バーやレストランは閉鎖されたり、高所へ移転したりしていて、「ヒッピーバー」もいずれは閉店してしまうと言われてました。

しかし、皆が胸をなでおろしたことには、政府がジミーの働きを島の発展に特有のことだと評価して、店を象徴として残すことを認めたそうです。

数週間の恐ろしい波と穏やかな停泊を経て、そこで旅の終焉を迎えることになりました。