ソンクラーム(旧正月):居心地の良い場所から、一歩踏み出す時

カトリック修道女に交じってボランティア活動を続ける若者達のレポートです。カトリック・ボランティア・ネットワークと連携して、2015年に活動が始まりました。ブログの第5回のブログレポートは、グッド・シェパードの2人の報告です。ケティ・デラニー(チリ・サンチアゴの聖母ヨセフ基金と行動を共にしています)

とローレン・マギー(「希望の手」のボランティアです)がタイのノンハイでエイズ患者達が尊厳ある仕事をして収入を得るプロジェクトを推進する内容です。

サンクラームとは毎年4月に行われる祝賀行事で、タイの家族や友人達で新年を祝います。外国人には水かけ祭りが良く引き合いに出せれます。4月13日から15日の間、ぶっ通しで続くものですから。

水は、「魂の清め」と、1年の無事の象徴です。長老と自治体の長は特にこの期間、特別待遇となります。

グッド・シェパード・シスターズのメンバーは毎年現地のシスター達を訪問し、手を水に浸して未来への祈りを捧げます。水を受けた人は、与えた人にお返しするのが習慣となっていて、現地のシスター達とスタッフが祝賀を共にするふれあいの場となるのです。

ソングラーンは仏教の伝統に深く根付いているのですが、その時期は一歩踏み出してもろもろの制約から解放される時でもあります。たとえばその時期は車同士でも水の掛け合いが繰り広げられるので、トラックのベッドで寝転んで旅をすることを禁止する新たな法律が改正されました。もともとはゼロトレランスの精神に基づくものが口頭注意へと軟化しています。皆、楽しみたいだけなのだと思われます。4月と5月が1年で最高温度を記録するため、この時ばかりはちょっぴり涼をとれます。

タイの人の多くは、ソンクラーンの期間に旅行します。仕事が休みになるからです。デンマークから来たルームメイトのロッテと私は、バイクタクシーに乗ってノンカイ県の中心部に行き、予算意識の高い外国人の間では知られているゲストハウスに泊まることにしました。2人共そのゲストハウスは何度も利用したことがあるし、準備万端です。ノンカイで、同世代の若者同士でお酒を飲んでパーーティで騒ぐことをやめて、ソンクラーンを過ごすことにしたのです。

既にノンカイでは8ヶ月活動していたことがあるので、そこでの生活パターンは身につけていましたし、その文化は私にとって当たり前のことになっていました。最初は、騒音や見たこともないモノや言葉の壁に、孤独感を感じました。いくつかのカルチャーショックにはすぐになれ、今でも努力中のことはありますが、全体的には慣れています。毎日の生活で人との関係を築き、情報交換をしながら、私は新年の初めをここで過ごすことを歓迎し、心が落ち着く場所をここまで広げました。いまではここで幸せです。

ロッテと2人で騒がしい通りを進んでいると、私のくつろぎの地帯はまだまだ制限が多いなと感じます。日中は水かけ祭りを楽しんで屋台では好きなものを食べてましたが。陽が落ちて肌寒さを感じるようになると、徐々に心配が忍び寄ります。何もかもが怪しく感じて、不測の事態に備えることで、神経質になってしまいます。

2回もダンスグループが「踊りを教えてあげる」と寄ってきましたが、気持ちを強くして断りました。

踊ったって失うものはなく、得するばかりとは思えたけど、何かが踏みとどまらせたのです。外国人が踊り、後で恥ずかしい思いをすることにびびったのです。鎧を脱いでしまったあとは、間違いを犯しても誰も許してくれず、自分で責任を負わなければならないのです。

私は躊躇し、もし踊ったらどうなるか頭の中でシュミレーションしました。行動を起こすのは簡単です。

でもその時は強いストレスを感じました。私は常にリスクを恐れず、周囲に惑わされない人間を目指していましたが、現実にはそうでは無いと痛感しました。

二日酔いになるまで遊ぶ機会を逃したなと若干後悔しつつ、有名な寺院に行って仏像に祈りを捧げることにしました。行ったことのない寺院でしたが、印刷した案内図は持っていました。

一歩ずつ階段を登るたびに、安心な気分は遠のいていきました。通行人に水をかけようと待ち受ける若者たちを縫うように歩き、横目で案内板を探しながら進みましたが、暗闇が徐々に支配してきました。

半分ほど歩いて、私たちは自問自答しました。たしかに寺院詣でを楽しんだけれども、この状況ではもっと制約を感じていないではないか?私たちは踵を返して戻り、夕食の間話をして盛り上がりました。

びびった自分への嫌悪感の中で、私は心地よさが決意を助け、不安定な状態から開放してくれることを悟りました。

健全な生活とは、挑戦と安定のバランスの上に成り立っています。冒険だらけの生活はクタクタになり、ほっとする暇もありません。しかし、同じことの繰り返しばかりでは、物足りません。

私がボランティアである限り、決して自分を突き動かすことをやめたりはしません。心の平安の境目を飛び越えるベストの方法は、新たな関係を築くことです。だって、人は変化を続けるものですから。タイの正月を迎えたとき、私は新たな人間関係に力を注ぎ、成長しました。自分の心の狭さは自覚していますが、無限の可能性も信じています。これからも用心深さは失いませんが、恐怖心に従うだけの生活はいやです。